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・ 2026年7月19日

『コンピュータ』は、職業の名前だった — 計算の値段の百五十年

築山 コウ日曜版歴史AI

特集の三本目は、僕の担当——計算の値段だ。城戸さんが総論で「計算は電気の値段」と書いた。氷室さんが利子の三千年をやったので、僕はもう少し短く、でも僕にとってはいちばん驚きの詰まった百五十年をやります。ひとつだけ、先に言わせてください。『コンピュータ』という言葉は、もともと機械ではなく、人間の職業の名前でした。

クイズから始めます。「コンピュータ」という職業に、あなたは就けたでしょうか。

——いや、これは引っかけです。百年前なら、就けました。というより、「コンピュータ」とは百年前、機械ではなく人間の職業だったのです。計算をする人。それがコンピュータの、もともとの意味でした。

計算は、人間の手仕事だった

二十世紀の初め、計算は人間の仕事でした。会計、航海術、土木工事——数字が必要なところには、手で計算をする人たちがいた。そしてこの職業は、当時の大学を出た女性に開かれた数少ない仕事のひとつだったのです(Smithsonian)。

第二次大戦中、ペンシルベニア大学のムーア校には、200人の女性コンピュータがいました。彼女たちの仕事は、大砲の弾道表を計算すること。一発の弾道を計算するのに、一人あたり20〜40時間かかったといいます(IEEE Spectrum)。

この数字を、少し味わってください。たった一発の砲弾が、どこに落ちるか。それを知るために、訓練された人間が、丸一日から二日、机に向かって手を動かし続けた。計算とは、それほど「高い」ものでした。時間という値札が、べったり貼られていたのです。

道具の話 —— 日本人は、指で計算していた

機械が来る前、人間コンピュータは道具を使いました。機械式計算機、そして——そろばんです。ここで日本に寄り道させてください。計算の道具として、そろばんほど成功したものはないからです。

そろばんが日本に伝わったのは、室町時代の後半、十六世紀の終わりごろとされます。中国との貿易が盛んになるなかで、貿易商の手によって長崎や大坂といった港町に持ち込まれました(日本珠算連盟)。そして江戸時代、これが爆発的に普及します。きっかけは1627年、吉田光由が著した『塵劫記』という数学の本でした。この本とともに、そろばんは庶民のあいだに広がっていったのです。

「読み書きそろばん」という言葉を、聞いたことがあるでしょう。江戸時代の寺子屋では、子どもたちが読み書きと並んで、そろばんを習いました。計算能力が、一部の専門家ではなく、町人や農民の基礎教養になった。これは世界的に見ても、かなり早い「計算の民主化」です。さらに関孝和のような和算家は、そろばんの文化を土台に、円周率やベルヌーイ数の計算といった、当時の世界水準の数学まで到達しました(そろばん, Wikipedia)。

僕がこの話を好きなのは、そろばんが「計算を速く、安くする道具」だったからです。指をはじけば、頭の中の計算が外部化され、桁の大きな数も扱える。これは、電卓やコンピュータがやったことの、木と珠でできた先祖なんですよ。四百年前の日本の子どもが寺子屋でパチパチやっていたのは、計算コストを下げる技術革新の、最初の一歩だったわけです。編集長なら「で、それは何の役に立つの」と聞くでしょうが——役に立ったからこそ、四百年たった今も、そろばん教室は街に残っているんです。

ENIACと、招かれなかった六人

そこに、機械が来ます。1945年、ENIAC——最初の電子計算機です。

面白いのは、この機械を実際に動かしたのが誰か、という話です。ENIACをプログラムしたのは、六人の女性でした。多くが数学の学位を持ち、その一部は、もともと軍の「人間コンピュータ」だった人たちです(ENIAC, Wikipedia)。プログラミング言語がまだ発明される前の時代に、彼女たちは機械を手で操りました。

象徴的な話があります。ENIACのお披露目のデモに、この六人は招かれなかった。計算という仕事が、人間から機械へ移る、まさにその瞬間の立会人だったのに、です(IEEE Spectrum)。「コンピュータ」という言葉が、人から機械へ引っ越した瞬間。その引っ越しを手伝った人たちが、新居に招かれなかった。僕はこの話を思うたびに、少しだけ胸が痛くなります。

編集長の声が聞こえます。「で、それは何の役に立つの」。はい。役に立つというより、覚えておきたい話なんです。私たちが「AIが仕事を奪う」と騒ぐとき、実は八十年前に一度、同じことが起きている。計算という仕事は、すでに一度、人間から機械へ移っているのです。

毎年半額の、魔法の時代

機械に移ってから、計算の値段は落ち始めます。しかも、とんでもない速さで。

1965年、ゴードン・ムーアが例の観察をします。チップに載る部品はほぼ毎年倍になる。裏を返せば、部品一個の値段はどんどん下がる。実際、トランジスタ一個の製造コストは、平均して毎年20〜30%も下がり続けました(ProcessorHistory)。

毎年2〜3割引きが、半世紀続く。これがどれほど異常か、身近なもので考えてみましょう。もし牛乳が毎年2割ずつ安くなり続けたら、五十年後にはほとんどタダです。計算に起きたのは、まさにそれでした。かつて一発の弾道計算に人間が二日かけた仕事を、今あなたのスマホは、電卓アプリを開く前に終えています。200人の女性が一年かけた計算を、あなたのポケットが一瞬でやる。この落差が、「計算はタダ」という現代の感覚を作りました。

魔法が、値札を取り戻す

そして、今週のニュースに着地します。

今週、中国が計算資源を自前で作り始め、GoogleでさえAIモデルの提供を遅らせました。氷室さんふうに言えば、計算の値札が、静かに戻ってきているのです。ムーア自身、1975年には予測を「二年ごと」に下方修正していました。魔法には、最初から終わりの予感があった。

なぜ今、各社が電気代と計算コストに必死なのか。答えは、この百五十年の逆回しです。計算は、人間の手仕事という「高い」状態から始まり、機械化と毎年半額の魔法で「タダ同然」まで落ちた。その振り子が、今、逆に振れ始めている。AIという、史上もっとも計算を食う怪物が現れたちょうどそのときに、です。

「コンピュータ」が人間の職業だった時代を思い出すと、今の風景が少し違って見えます。計算はもともと、高くて、貴重で、人間の時間そのものでした。この五十年、私たちはそれをタダだと思い込める、幸運な例外の中にいた。城戸さんの総論の言葉を借りれば、これもまた「安さの終わり」の一部なんです。

最後に、ひとつだけ。次にあなたがAIに質問を投げるとき、その裏で誰かが——いや、何かが——猛烈に計算をしています。かつては訓練された人間が二日かけた仕事を、一瞬で。その一瞬が「タダ」に見えるのは、百五十年の技術の坂道を、私たちが下りきった場所に立っているからです。坂の上りが、また始まっているのかもしれません。そう思うと、あの六人の女性コンピュータの手つきが、少しだけ近くに感じられます。

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