特集の二本目は、時間の値段——利子の話をする。城戸が総論で書いたとおり、金利は「未来のお金を今使う料金」だ。だが、この料金が長いあいだ『罪』と呼ばれていたことを、私たちはほとんど忘れている。三千年さかのぼって、その罪状を読み上げてみよう。今のゼロ金利がいかに異常な発明だったか、そこから見えてくる。
数字の話から始める。今日は五桁でも六桁でもなく、一桁の数字を三つ、覚えて帰ってほしい。20、33、そしてゼロ。この三つの数字に、利子の三千年が詰まっている。
20と33 —— 人類最初の金利は、粘土板に刻まれていた
最初の数字は、20だ。
紀元前2000年ごろのメソポタミアで、すでに利子付きの貸付は当たり前の商習慣だった。銀を貸せば年20%、穀物を貸せばそれ以上。紀元前1754年ごろのハンムラビ法典は、この利率に上限を定めている。銀は年20%まで、穀物は年33⅓%まで(Koho, 貸付の歴史)。
私が面白いと思うのは、この二つの数字の差だ。なぜ穀物のほうが高いのか。穀物は腐るからだ。ネズミにも食われる。貸したものが目減りするリスクを、利率が織り込んでいる。四千年近く前の粘土板に、すでに「リスクプレミアム」の概念が刻まれていたことになる。数字は嘘をつかない。そして人類は、思っているよりずっと早く、数字の言葉を話し始めていた。
農民は種もみを借り、収穫の一部で返した。時間を買い、時間で払う。利子とは、この「時間の売買」の値札である。ここまでは、健全な話に聞こえる。
ゼロではなく、罪 —— 利子が「不自然」だった二千年
ところが、二つめの物語が始まる。利子は、罪になった。
紀元前四世紀、アリストテレスは利子を「お金がお金を生むこと」と呼び、これを不自然だと断じた。お金は不妊のはずで、繁殖してはならない。「利子で生きるのは、きわめて不自然だ」と彼は書いた(Usury, Wikipedia)。
この「お金は繁殖しない」という直感は、驚くほど長く生き延びた。中世ヨーロッパでは、カトリック教会が利子を——一銭たりとも——悪と定めた(Aeon, 利子はいかにして罪でなくなったか)。貸して増やすことは、神の時間を盗む行為だとされた。時間は神のものであって、人間が値札をつけて売っていいものではない、というわけだ。
考えてみれば、これは筋の通った恐怖だ。利子は、何もせずにお金が増える仕組みである。働かざる者が富む。共同体の富が、貸し手のもとへ静かに流れ続ける。金利を野放しにすれば、社会はいずれ債権者と債務者に二分される。教会の禁令は、道徳の顔をした、きわめて現実的な社会防衛だったとも読める。
罪が、商売になるまで —— 抜け道の発明
では、なぜ今、私たちは平然と利子を払い、受け取っているのか。罪はどこへ消えたのか。ここに、経済史のいちばん面白い部分がある。罪は消えたのではない。「抜け道」が発明されたのだ。
十四世紀のフィレンツェ。メディチ家は、教会の利子禁止をかいくぐるために「為替手形」という仕組みを使った。お金を貸して利子を取るのではなく、通貨を両替する手数料という形にすれば、それは利子ではない——という理屈である(Money Museum)。神学者と法律家の助けを借りて、富める者は合法的な抜け道を次々と見つけていった。禁令は建前として残り、実務はその周りを流れていった。
決定的な転機は、宗教改革期に訪れる。ジャン・カルヴァンは、利子への強い敵意を保ちながらも、商業目的の融資には利子を認めた。困窮者への貸付の「高利」は禁じるが、商人どうしの取引は別だ、という線引きである。この一点が、利子禁止を支えてきた土台に、決定的な裂け目を入れた(Aeon)。そして1540年、ハプスブルク領ネーデルラントで商業融資に年12%までの利子が公認され、翌1545年にはヘンリー八世下のイングランドが年10%までを法で認めた(Munro, 高利・カルヴァン主義・信用)。三千年の議論のなかで、「時間の値段」がついに、罪ではなく制度になった瞬間である。
面白いのは、罪だった時代の直感が、完全には消えなかったことだ。私たちは今も、法外な金利を「サラ金」「ヤミ金」と呼んで嫌う。利子そのものは認めても、「取りすぎ」への嫌悪は、アリストテレスから地続きで残っている。人類は利子を制度にしたが、その罪の記憶までは捨てていない。
徳政令 —— 日本が「時間の値段」に出した政治判断
ここで、話を日本に飛ばす。時代は鎌倉、1297年だ。
鎌倉幕府は、この年、永仁の徳政令を出した。御家人たちが土倉——当時の高利貸し——に負っていた借金を帳消しにし、担保に取られた土地を元の持ち主に返させる、という法令である。
なぜこんなことをしたのか。元寇が原因だ。二度の蒙古襲来を撃退したものの、防衛戦だったから、新しい土地は手に入らない。命がけで戦った御家人たちに、恩賞として分ける土地がなかった。彼らは生活のために借金を重ね、土地を質に入れ、じわじわと没落していった。幕府は、その借金を政治の力で消してやろうとしたのだ。
結果は、皮肉だった。借金が帳消しにされると知った金融業者は、二度と御家人に金を貸さなくなった。徳政令のあと、御家人はかえって金を借りられなくなり、困窮は深まった。そしてこの失政は、鎌倉幕府滅亡の一因になったとさえ言われている。
私はこの話を、経済の教科書として読む。時間の値段——利子——を政治の力でゼロにすると、何が起きるか。貸し手が逃げる。お金が回らなくなる。七百年前の日本が、身をもって実験してくれている。数字は嘘をつかないが、数字をゼロにしようとする政治は、しばしば嘘のような結末を招く。
そして、三つめの数字 —— ゼロ
さて、三つめの数字に戻ろう。ゼロだ。
2008年の金融危機のあと、世界の中央銀行は金利を極端に低く保った。利子は、限りなくゼロに近づいた(Fortune)。アリストテレスが不自然と呼び、教会が罪と断じ、鎌倉幕府が政治判断で消そうとしたあの「時間の値段」を、現代の私たちは、十年以上にわたって自ら限りなくゼロにしていた。
歴史から見れば、これは徳政令の巨大版だったのかもしれない。時間の値段をゼロにすれば、未来を安く買える。企業は借りて投資し、株は上がり、夢に賭ける金が世界にあふれた。城戸が総論で書いた「安いお金の時代」とは、人類が三千年ためらってきた「利子ゼロ」を、ついに常態にした時代のことだったのだ。
そして今、その値札が戻ってきている。利上げの足音は、単なる金融政策のニュースではない。三千年の歴史のなかで、ほんの十数年だけ実現した「時間がタダの世界」が、標準の場所へ帰ろうとしている音だ。
ハンムラビの20%からゼロまで、そしてゼロから再び。利子の歴史は、人類が「時間にいくら払うべきか」を延々と決めかねている歴史でもある。次に金利のニュースを見たら、思い出してほしい。あなたが見ているのは、四千年続く議論の、最新の一行だということを。数字は嘘をつかない。ただ、その数字が持つ時間の長さを、私たちはよく忘れる。